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私が3年で会社を辞めた理由:スタープレイヤーを育てない日本の金融機関

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二十数年前に、金融機関に就職した私は、3年後に辞めた。辞めた理由はいろいろあった。

そもそも、入社式で「この会社はおかしい」と思ったこと。

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また、新入職員の時、お世話になった先輩が人事部に異動になった途端、人が変わったように豹変した。そして、私は、大切な先輩を失った。

もっとも、先輩は、私などよりもはるかに大きなものを失ったけれど・・・。

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しかし、大手金融機関に就職したことで、社内で、世界的な名画をタダで鑑賞できたこともあった。

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新卒で入社した会社で、わずか3年という短い期間しかいなかったが、嫌なことばかりでもなく、もちろん楽しいこともあった。

しかし、私には、どうしても許せないことがあった。

だから、会社を去った。

今日は、そんなお話。

 

スタープレイヤーを育てない日本の金融機関

 

雑用ばかりやらされた新入社員時代だったが、2年目になってようやく、投資に専念できるようになった。

1年目なんて、ほんとヒドかった。新聞の切り抜きとか、有価証券の売買約定の事務処理、投資報告書のワープロ清書なんてやらされた。

そんな雑用ばかりさせておいて、一人前の投資家が育つわけがない。外資系の金融機関なんて、新卒で入社して数か月くらいで、ポジションを持たせるところもある。

だから、日本企業と外資系では、人材育成において成長のスピードに大差ができて当たり前だ。

 

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それで、2年目になってやっとポジションを持たせてもらったが、問題もあった。当時、私が勤めていた会社では、ポジションを持っても、自由に自己判断で投資ができなかったのだ。

毎日、相場見通しと、自分の投資方針を課長に報告し、課長の許可がでれば、初めて売買が行えるシステムになっていた。だから、ポジションを持ったとはいっても、すべて自分の判断で売買ができるわけだはなかった。

例えば、自分としてはポジションをそのまま保持しようと考えていたとしても、課長から「アメリカの雇用統計の発表があるから、少しポジションを落としておけ」と言われれば、ポジションを整理しなければいけないのだ。

なんのことはない。これでは、私が投資しているのではなく、課長が投資しているのと同じことなのだ。

 

当時の他の金融機関がどのような状況であったかは、私は知らない。しかし、私が勤めていた会社だけが特別な状況であったわけではないだろう。多かれ少なかれ、他の会社も同じような状態だったに違いない。

所詮、日本企業なんだから、同じようなもんさ。

それに、日本企業の場合は、良くも悪くも、個人でリスクを背負うことがない。

というのも、ミーティングでお互いの相場見通しを語りながら、投資方針を説明するのだが、ミーティング出席者全員の同意というか、容認を経ているため、個人の投資により最終的に損が出ようが、益が出ようが課全体の責任にされるのだ。

つまり、形式的には個人がポジションを持ち投資をしているのだが、実際は、合議制で投資していることになる。だから、個人がリスクを負うこともない代わりに、リターンも享受できないのだ。

 

したがって、大きな失敗もない代わりに、大成功もない、しょーもないパフォーマンスしか上げられなくなる。このようなリスク管理は、一概に悪いとは言い切れないものの、私のような人間には、非常に物足りないのだ。

やっぱり、ポジションを持った以上、自分でリスクを負い、自分の判断で投資をしたいというのが、投資を仕事にしている人たちが熱望することじゃないだろうか。

 

私はこんな窮屈な投資は嫌だったので、言いたいことを言っていたが、2年目は、やはり実績が伴わなかったので自由にやらせてもらえなかった。

 

それで、3年目になって、だいぶ自分のやりたいようにやることができるようになったのは、非常にありがたかった。そして、この時、状況が私に大きく味方した。

なんと、私のパフォーマンスが、部内で最も良かったのだ。これは、今から考えると、運が良かったという要素もあったのだが。

しかし、当時の私は、天狗になってしまっており、自分が天下を取ったようなつもりでいたものだ。まったく、嫌なヤツだよね。

しかし、私のパフォーマンスが、たとえ運の良さによるところがあったとしても、結果として、最高のパフォーマンスをあげたのだから、やはり、金銭や人事面で報いるのが正当なやり方なのではないだろうかと思うのだ。

 

ところが、日本企業だから、私の場合は、金銭面や人事面で報いられることはなかった。当時の日本企業なんて、そんなもんだ。管理職ならいざ知らす、私のような若手が、同期に差をつけてボーナスがアップするとか、昇進するとか、そんなことがあるはずはない。

まあ、そういうこともあって、会社には不満を持っていた。

 

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そこで、私は、課長に向かって、

「金銭面でも報われない、人事面でも報われないのであれば、自由にさせてもらう」宣言をした。

自由にさせてもらうと言っても、ムチャクチャなことをしたわけではない。労働者としての権利を行使させてもらったのだ。

具体的には、有給休暇の消化、サービス残業は絶対しない、フレックスタイム制の利用などだ。

 

まず、有給休暇の消化から始めた。

当時の日本企業は、どこも同じだったと思うが、有給休暇は捨てるのが当たり前だった時代だ。

つまり、年間25日の有給休暇をもらい、消化しきれない場合は翌年に繰り越し、最大50日まで有給休暇の残高を積み上げることができる。しかし、MAX50日になったら、それ以上は、捨てることになる。

おそらく、当時、日本企業で勤めていた会社員で3年、4年以上働いていた会社員は、ほとんどMAXまで有給休暇をため込んでいたんじゃなかろうか。そうすると、毎年付与される25日の有給休暇は、すべて捨ててしまうことになる。

これは、当時の日本企業には、休むことを非常に嫌っていた企業風土があったからなのだ。つまり、有給休暇を取得せずに働き続けることこそ、「仕事、頑張ってます」という会社へのアピールになっていたのだ。

 

くだらないと思いませんか?

有給休暇は、労働者の権利なんだから、取得して当たり前だ。だから、私は、思いっきり有給休暇を取得してやった。

 

また、最近、問題になっているサービス残業についても、「残業させるのなら、金を払え」と言い、私は絶対に残業しなかった。

さらに、当時、私が所属していた部署では、フレックスタイム制を導入していたのだが、誰もそれを利用していなかった。これは、有給と同じく、フレックスタイムを利用しないことで「一生懸命仕事をしてます」アピールをしていたバカな連中が多かったためだ。

だから、私は、フレックスタイムを利用して、毎日10時に出社したり、17時に帰ったりした。

 

そういうことをやっていると、当然、課長と衝突するわけだ。

「休みすぎだ」とか。「退社時間が早い」とか。「出社時間が遅い」とか。

 

バッカじゃなかろうか。

労働者としての当然の権利を行使しただけじゃないか!!!

それに、オレは、パフォーマンスをきちっとあげてるんだぞ。

それに対して、会社は、何も報いてくれないじゃないか。

だから、せめて、労働者の権利を正当に行使しているだけじゃないか!!

なんか、文句があるのか?

 

まあ、こんな感じで課長と衝突するわけだ。それで、何度も話をしたが、話は平行線のまま。課長にしたら、私が自由に振る舞うのを大目に見ていると、他の職員に対して示しがつかないということだったんだろうね。

私を特別扱いするわけにはいかなかったんだろうと思う。

 

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それで、課長と対立したまま、3年目のクリスマスが過ぎた頃、人事面談があった。

同じ部署で3年を過ごすと、当然、異動適齢期に入るのだが、その意味でも、この3年目の人事面談は重要なのだ。

その人事面談で、課長は一通り、私の仕事の評価を口にしたが、パフォーマンスについては部内で一番なのだから、ケチをつけるわけにはいかない。しかし、何度も、勤務態度が悪いなどと言っていた。

ただ、私からすれば、労働者としての権利を行使していただけなのだから、相変わらず、両者の見解は平行線をたどったままだった。

そして、課長が、最後に「この部署に3年いるのだから、転勤は覚悟しているんだろうな。一応、希望を聞いておこうか」と言った。

「一応」という言葉に、私は、すぐにピンときた。

 

コイツは、オレをとばす気だ。

 

おそらく、課長は私を地方の支店にとばすつもりだったんでしょう。そうでなければ、そんな言い方はしないはずだ。

しかし、バカな課長だ。

部内で一番のパフォーマンスをあげた人間を惜しげもなく、放出するんだから。しかも、私は、何も悪いことはしていない。

有給休暇を取得し、サービス残業を拒否し、フレックスタイムを利用しただけだ。それでとばされるのならば、「こんな会社辞めてやる」と、その時決心した。

その後、年が明けて、3月の初めに退職届を出して会社を辞めた。

新卒で入社した会社での私の3年間のサラリーマン生活が終わった。

 

これは、今から振り返っても賢明な選択だったと思う。もはや、私が、この会社で得るものは何もなかったし、会社も、私のような社員は扱いに困ったであろう。

私が働いていた当時の日本企業は、実績をあげた社員に報いることができなかった。そんな人事・賃金システムになっていたのだ。

だから、実績をあげた社員は、外資系などに転職をするのが当たり前だった。その結果、日本の金融機関には、スタープレイヤーがいなくなった。

みなさんの中でも、自分に自信がある人は、日本企業なんかにいつまでもいる必要なんてないさ。外資系に転職するなり、自分で新たに事業を始める方が、ずっといい。

日本企業は、どうしても出る杭を打とうとするからね。