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絵心の全くない私が、美術教育をブッた斬る!!:芸術教育に関する一考察

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テレビ朝日の「アメトーーク!」で、「絵心ない芸人」を観ても笑えない私。

そう。私も絵心が全くない。

いや。一応、笑うんですよ。

でも、笑いながら見終わった後に、寂しさの風が私の周囲を吹き抜ける。

あ~~あ~、オレに絵心があれば、学校の美術の時間も、もう少し楽しかっただろうに。

 

絵心のない私にとって、学校の美術の時間は、まさに地獄そのもの。

ある時。そうですなあ、小学4年生ぐらいだったでしょうか。人間の顔を描けと言われたから、描いたわけです。

そしたらね、傑作ができたわけですよ。またそれが、ピカソの超大作「ゲルニカ」に描かれた顔にそっくりなんですよ。

ピカソの「ゲルニカ」って、みなさん知ってますよね? 私が描いた顔は、下の画像の顔そっくりだったんですよ。

 

f:id:kibashow:20170325155502j:plain

 

これですよ、これ。

私は、小学4年生で、「ゲルニカ」にでてくるこの顔とそっくりの顔を描いたわけですよ。

小学4年生で描いたんですよ。すごいでしょ?

ゴイスー(テレビ業界用語。すごいという意味)でしょ?

ピカソが、何十年にもわたって到達した地点に、私は誰からも教わることなく、小学4年生にして自然と到達していたんですよ。

でも、先生に怒られた。

そして、教室の後ろの壁に私の絵が、みんなの描いた絵とともに貼られた。しかも、何か月もの間。私の絵が、何か月も、さらしものになったのだ。

その私の絵を見て、同級生からは笑われるし、からかわれるし。

なんでだ? ピカソは称賛され、なんで、私は怒られたり、笑われたりしなければいけないんだ?

世の中は、つくづく不条理だと思った。

 

小中学校のころ、校内写生大会というのがあった。

みなさんの学校にもありましたか?

ようするに、弁当を持って近場の公園や原っぱに出かけて、ひたすら絵を描くという、絵心のない私にとっては、本当につまんねえ学校行事だった。

そんな、つまんねえだけの行事だったから、当然、絵なんてそっちのけで、缶蹴りなんてするヤツが出てくるわけですな。それで、思いっきり缶を蹴ったその先に、先生がいて、メッチャ怒られてやんの。

バカだよねー。バカなヤツだと思いませんか?

って、それ、オレのことだよ!!

だって、仕方ないじゃないですか。絵なんて描きたくないんだもん。

だから、缶蹴りをする以外ないじゃないですか?

 

でも、先生に怒られて、しぶしぶ絵を描こうとしたら、

あ!! パレット忘れた!!!

仕方がないんで、友達のパレットの片隅を借りて、恐縮しながら、絵の具を調合していたら。

友達から、「変な色を混ぜんなや!!」と怒られた。

パレットを見てみると、私が調合した絵の具が友達の絵の具と混ざってしまって、友達がキレたらしい。

「ごめん、ごめん」

肩身の狭い思いを味わいながら、何とか絵を描き上げた。

まあ、私ぐらいの達人になってくると、絵なんて5分で描き終えることができる。しかも、使う絵の具は、たった3色だけ。

これぞ、究極のエコだよね。

エコ画伯と呼んでください!!

どうですか? みなさん。 みなさんには、このような達人の技は使えないでしょう。

それで、絵を描き終えた私は、また、缶蹴りを始める。

そして、また、先生に怒られる。

 

かように、学校の美術の時間なんて、私には地獄そのものだったし、良い思い出がなんにもない。

しかし、そもそも、なんで、絵心がない人間までが絵を描かなければいけないのだろう?

私は、将来、画家志望ではないのだ。画家になるつもりなんて、毛頭ないのに。

みなさんも、そうでしょう?

これを読んでいるみなさんの中にも、絵がうまい人もいれば、下手な人もいるはずだ。しかし、みなさんは、画家ですか?

おそらく、ほとんどの人は学校を卒業したら、絵筆なんて握ったことがないはずだ。まあ、たしかに、趣味で絵を描く人はいるでしょうが。

どうしても絵を描きたいのであれば、大人になってユーキャンで習うか、カルチャースクールで教えてもらうかすればいいんだ。だいたい、学校の美術の時間だけで、絵が上達するはずはないんだ。

美術の時間だけで絵が上達する人は、もともと絵がうまいとか、才能がある人たちなんだから。

 

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生徒全員に絵筆をとらせて、絵を描かせる必要なんてないのだ。将来画家になるわけでもない人に、絵を描かせるなんて、時間の無駄もいいとこ。

しかも、美術教師なんて、ほとんど仕事をしていないでしょ?

だって、生徒に絵を描かせている間は、彼ら、何もしていないんですよ。生徒たちの絵を見て回るか、別室に引きこもって休憩しているかでしょう?

そして、出来上がった生徒たちの絵を、上手、下手と優劣をつけるだけの仕事なんて。こんな楽な仕事はない。

美術教師なんて、他の教師の半分の給料でいいよね。だって、そもそも、美術教師は、他の、例えば、英語や数学教師のように、きちんと授業をしていないじゃないか。

 

現在、学校の美術教育というのは、音楽教育と同様、技術習得偏重になっていると思う。

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つまり、学校の美術教育では、生徒たちに絵を描かせて、その優劣をつけるのが、主な目的となっているわけだ。

しかし、これでは、美術の授業がもったいないのではなかろうか?

そこで、私は、音楽の授業に関して提案したように、美術の授業でも、美術鑑賞と講義を中心とした構成にしたほうが良いと思うのだ。

 

例えば、日本の浮世絵が、当時のヨーロッパの画家たちに多大な影響を与えたのは、みなさんもご存じでしょう。ヨーロッパの画家と浮世絵の出会いがなければ、今日の印象派の作品は、全然違ったものになっていたと言われるほど、浮世絵がヨーロッパ画壇に与えた影響は大きい。

浮世絵がヨーロッパにわたった当時は、とにかく、ヨーロッパの画家たちは行き詰っていたのだ。そして、浮世絵との出会いが、その行き詰まりを打破してくれた。

いわゆる、ブレークスルーってやつだ。

このような歴史的事実を解説しながら、当時のヨーロッパ美術を紹介し、欧州画家たちが、何に行き詰まり、どのような苦悩を抱えていたのか、そして、浮世絵がどのようにして、彼らに新しい芸術手法をもたらしたのか。

そこら辺を解説しながら、生徒たちに多くの美術作品を見せてあげるのだ。

すると、浮世絵と出会う前と、出会った後のヨーロッパ絵画の違いが、生徒たちにもよく分かるはずだ。ヨーロッパ絵画の変貌の過程が分かるはずなのだ。

 

このような授業の方が、子供たちの美術に対する好奇心を刺激すると、私は思うんだが。

ただ単に、生徒たちに絵を描かせて、その絵に先生が優劣をつけるだけなんて、そんなことをしていて、子供たちが美術作品に目を向けるきっかけが作れるだろうか?

それで、子供たちの芸術センスが磨かれて、心が豊かになるんだろうか?

 

美術に限らず、音楽でも同じなのだが、芸術を鑑賞する目的は、芸術作品に対する感性を磨き、心を豊かにすることなのだと思う。

それであれば、現在、音楽の授業で将来全く使わないような楽器を演奏させたり、美術の授業で生徒全員に絵を描かせたり、そんなことをするよりも、優れた作品に数多く接触する機会を作り、その作品が作られた時代背景、文化的背景、政治的背景などを解説して、作品に込められたメッセージを生徒たちに教えるほうが、よっぽど、心の豊かさにつながるだろうと私は思うんだが。

 

ゆとり教育の弊害が指摘され、近年は、ゆとり教育を否定して、昔のように詰め込み式の教育が復活している。その是非については、ここでは立ち入らない。

しかし、ゆとり教育であれ、詰め込み式教育であれ、本来の教育が目指すべき理想の到達点が、豊かな心と、深い人間性にあるとするならば、美術や音楽などの芸術教育こそ、その役割を担うべきだと思うのだ。

そして、現在の美術教育や音楽教育での技術取得偏重の教育方針では、残念ながら、心の豊かさや人間性の深さを得ることはできない。やはり、たくさんの芸術作品に触れ、その作品がどんなメッセージを発信しているのかを伝えなければ、豊かな心や深い人間性を形成することはできないに違いない。