キバスタ

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人に愛される人生と、人を愛する人生、どちらが幸せなのだろうか?

ふと考えてみた。

人に愛される人生と、人を愛する人生、いったい、どちらが幸せなのだろうか?と。

一般的には、なんとなく、人に愛される人生のほうが幸せだと考えられるんでしょう。

みなさんの周囲を見回してみても、同性異性を問わず、他の人からすごく愛される人っているでしょ?

たとえば、美人やイケメン。こういう人たちは、多くの異性にモテモテで、ちやほやされて、みんなから羨ましがられる。

また、学校なんかでは、必ずしも美人やイケメンではないのに、クラスの人気者みたいな人がいたよね? オモシロくて周囲の人たちを常に笑わせている人とか、スポーツができる人とか。

たくさんの人から愛される人生の方が、やっぱり得なんだろうか? 幸せなんだろうか?

上記の例だけから考えると、そういう結論に達してしまう。

でも、本当にその通りなんだろうか?

こんな話しがある。

 

あるところに、猫がいました。その猫は、何度も生きては、何度も死に、何度も死んでは、何度も生き返ることができたのです。

何度も死んでは、何度も生き返った猫ですから、大変立派なオス猫でした。

あるとき、その猫の飼い主は、殿様でした。殿様は、猫を非常にかわいがっていましたから、その猫をどこにでも連れて行きました。

狩りをするときも、城下町をまわるときも。

でも、猫は、殿様のことが嫌いでした。殿様のそばになんて居たくはなかったのです。

殿様は、猫を戦場に連れて行きました。ところが、流れ矢が猫に当たって、猫は死んでしまいました。

殿様は、非常に嘆き悲しみ、猫のためにお墓を作ってあげました。それはそれは立派なお墓でした。

 

その後、生まれ変わった猫の飼い主は、大道芸人でした。大道芸人は旅回りの一座に属し、猫を非常にかわいがり、旅から旅へと猫を連れて行きました。片時も、猫を自分の側から離さなかったほど、かわいがっていたのです。

でも、猫は、大道芸人なんて嫌いでした。大道芸人なんて、軽蔑していました。

大道芸人は、猫を台の上に座らせて、猫の頭の上に載せたナシやミカンを、手裏剣で射貫くという技を披露して、お客さんから拍手喝さいを浴びていました。

その技はいつも成功していたのです。

しかし、あるとき、大道芸人が投げた手裏剣が、猫の頭に刺さって、猫は死んでしまいました。会場は騒然としました。

大道芸人は、お客さんのことなど、そっちのけで、猫の死骸を抱きしめて、大声で泣きました。そして、猫を手厚く、葬ってあげました。

 

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生き返った猫の今度の飼い主は、作家でした。その作家も、猫をたいそうかわいがりました。いつも、猫を膝の上に載せて、文章を書いていました。

あまりにもかわいがったので、その猫を主人公にした小説を書きました。「吾輩は猫である」というのがその題名です。

でも、猫は、その作家が大嫌いでした。作家はタバコを吸うので、いつもタバコ臭かったからです。

猫は、ある時、飲み残しのビールをなめ、酔っぱらってしまいました。そして、たっぷりと水の入った瓶(かめ)の中に落ちてしまったのです。

翌朝、猫の死体を発見した作家は、非常に嘆き悲しみました。そして、猫の死体を庭の片隅に手厚く葬ってあげました。

 

猫は、また、生き返りました。今度の飼い主は、小さな男の子でした。男の子と猫は一緒に育ったので、男の子は、その猫を兄弟のように思い、いつも一緒でした。ご飯を食べるときも、テレビを見るときも、寝るときもいつも一緒。

でも、猫は、男の子が嫌いでした。男の子は、少し荒々しいところがあったからです。

ある時、男の子が振り回していた棒切れが、猫の目につき刺さり、猫は死んでしまいました。

男の子は、自分の兄弟が死んだように悲しみました。だから、お父さんとお母さんに言われるままに、猫の死体を庭に埋めてあげました。

 

猫は、またまた、生き返りました。今度は、一人暮らしのおじいさんに飼われました。おばあさんを亡くして独りぼっちだったおじいさんは、猫を飼い始めてから以前のように明るさを取り戻したのです。

おじいさんにとって唯一の家族となった猫は、おじいさんに非常に大切に扱われました。

でも、猫は、おじいさんのことが大嫌いでした。特に理由はなかったけれど、大嫌いだったのです。

猫は、おじいさんとともに年をとりました。最後は、おじいさんの膝の上で息を引き取りました。

おじいさんは、大変悲しみ、猫の遺体を火葬し、お骨を自分のマンションの部屋に持ち帰り、毎朝手を合わせていました。

 

猫は、再び、生き返りました。しかし、今度は、飼い主がいません。野良猫だったのです。

猫は、これまで、何度も生き返ったので、非常に立派なオス猫になっていました。こんな立派なオス猫を周囲のメス猫が放っておくわけがありません。

たくさんのメス猫が、オス猫に結婚を申し込みました。流し目で誘惑する猫や、あからさまにすり寄ってくる猫、大きな魚をくわえてきてオス猫に貢ぐメス猫たち。

でも、オス猫は、「いまさら、結婚なんて、バカらしくて」と言ってメス猫たちを相手にしません。

その時、一匹の白いメス猫を、オス猫の目が捉えました。その白いメス猫は、他のメス猫とは違い、オス猫に言い寄ったりはしません。

オス猫は、その白猫のところに行き、「オレは、何度も生き返ったんだぜ」と自慢げに言いました。

そしたら、白猫は「あら、そう」とだけ言って、関心がなさそうでした。

 

オス猫は、この白猫のことが何となく気がかりでしたので、それから毎日、白猫のところに行って、自慢話をしました。

ある時など、「きみには、こんなことができるかい?」と言いながら、高く飛び上がったり、宙返りをしたり。でも、白猫は、オス猫のことを黙って見ているだけでした。

ある時、オス猫は、とっておきの技を白猫に見せてやろうと、「きみ、よく見ていてくれよ」と言いながら、技を披露しようとして止めました。

「これからずっと、きみの側にいてもいいかい?」

白猫は、「ええ」と答えました。

 

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それから、オス猫は、ずっと白猫の側にいました。二匹はいつも一緒だったのです。

やがて、白猫は子猫を6匹生みました。お父さん猫になったオス猫は幸せそうでした。

白猫も、オス猫の側で、喉を鳴らしながら子猫たちを見守っていました。幸せそうなまなざしで。

やがて、時が過ぎ、子猫たちはそれぞれ親元を離れていきました。

オス猫は、「あいつらも、もう一人前だから、心配いらないや」と言いました。白猫は、やさしくオス猫に寄り添いました。白猫は、少しだけ年を取っていました。

それからも、二匹は仲睦まじく暮らしていましたが、あるとき、白猫はオス猫の側で動かなくなってしまいました。

 

オス猫は、動かなくなった最愛の白猫の体を抱きしめ、泣き叫びました。いつまでも、いつまでも泣き叫びました。

あくる日も、その翌日も、また、その翌日も・・・・・。

やがて、オス猫は、白猫の側で動かなくなってしまいました。

オス猫は、もう、決して生き返ることはありませんでした。

 

以上です。

この話を読んでいる途中から、あるいは、最初の部分を読み始めて、ピンときた人がいるのではないだろうか?

これは、あの有名な絵本「100万回生きたねこ (講談社の創作絵本)」を、私が多少アレンジしたものなのだ。原作者は佐野洋子さん。惜しくも2010年に亡くなられた。

あらすじをただ紹介するだけでは芸がないと思って、私が多少、脚色した部分もある。というか、大幅に脚色している。

みなさんの中にも、子供のころ、この絵本を読まれた人は多いだろう。

実は、私は、この絵本を最近読んだ。40歳を過ぎて読んだわけだが、この本を子供のころに読んでいれば、私の人生も大分変っていたんだろうなあ。

などと、非常に残念に思うとともに、自分の人生を振り返って激しく後悔した。

取り戻せない時間は、誰にだってあるものだ。

 

人に愛される人生と、人を愛する人生、どちらが幸せなんでしょうかね?

みなさんは、どう思います?

私は、こう思う。

全力で、それこそ自分の命をかけてまでも愛せる人がいる人こそ、幸せなのではないだろうか?と。