キバスタ

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おネエタレントと、性的少数者の権利擁護について

男性諸君、君たちには、こんな経験はないだろうか?

バラエティ番組を見ているとしよう。

たくさんのタレントがひな壇に座っている。男も、女も。

カメラが、そのひな壇のタレントを映すと、そこには、

ミニスカートをはいた女性の足が映っているではないか!!!

残念ながら、この段階では顔は見切れていて誰だか分からない。でも、超ミニスカートで、きれいな足をしている。美脚だ。

ん? 誰だろう? 石原さとみ? 石原さとみであれば、お宝映像だけれど。

まさか、石原さとみは、そんな超ミニスカートをはかないでしょう。

グラビア系か? 安田美沙子あたり? 熊田曜子かな?

などと、妄想は膨らむ。限りなく。

ワクワク、ドキドキするオレ。ついでに、心も、ときめいちゃったりして。

誰だろう? この超ミニスカートの美脚は?

そして、とうとう、カメラがその超ミニスカートの美脚の持ち主を映した。

そこに現れたのは、なんと、

 

IKKO

 

でした。

残念。無念。

オレは、その瞬間、撃沈したね。いや、むしろ轟沈(ごうちん)したね。

分かりますか? この奈落の底に突き落とされる感じ。暗~い、底の見えない深淵へと体が吸い込まれて、どこまでも落ちていく感じが?

オレは今まで、オッサンの足を一生懸命見ていたわけで。オッサンの足を美脚だと思っていたわけで。

なにやってんだよー。オレ。

しばらくの間、自己嫌悪で立ち直れませんでした。

まあ、あれだけ、妄想を膨らませていた私が悪いんだろうけれど。しかし、こんなところに地雷が埋まっているとは、思わんかった。

ここは、日本だよね? シリアとかじゃないよね?

なんで、テレビのバラエティ番組で、普通に地雷が埋まってるわけ?

見事、オレは地雷を踏んでしまったじゃないか!!!

 

まあ、最近は、ひところではないにしても、おネエタレントが、いまだにバラエティ番組に引っ張りだこで、相変わらず出演しまくっていますな。

はるな愛、IKKO、マツコ・デラックス、ミッツ・マングローブなどなど。こういう名前を挙げていくと、我々男は、ちょっと萎えてしまうわけだけれど。

でも、昔、椿姫彩菜(つばきあやな)っていたよね。下の写真の子。すごくかわいかったのを覚えているが。

 

 

最近、テレビに出ないけれど、どうしているんだろう。

あ!!! 思いついた。

春にちなんで、ここで一句。

 

春菜(はるな)にも 一顧(いっこ)だにせぬ 椿(つばき)かな

 

春菜と、一顧と、椿を、それぞれ、はるな愛、IKKO、椿姫彩菜にかけてみました。

この句の意味は、以下の通り。

春になって、菜の花が咲き誇っているけれど、椿は、そんな菜の花をものともせず、相変わらず美しく咲き誇っているように、椿姫彩菜の美しさは、はるな愛やIKKOなどと比べものにならないくらい超然としている、というくらいの意味です。

椿姫彩菜がマスコミに出なくなって久しいが、今なら、キレイ系おネエタレントナンバー1は、やっぱり「佐藤かよ」でしょうな。

 

 

この子は、何となく、「真鍋かをり」に似ているし、なんといっても、声からして元男とは思えないくらいカワイイ。

 

などと、この間、友達と話していると、「お前、ゲイじゃないか?」って言われた。

なんでよ? なんで、オレがゲイになるんだ?

その友達は、「いいか、お前、よく考えろよ。佐藤かよは、ああ見えても、所詮、男だぞ。お前は、青年にホレてるのか?」だって。

う~ん、そう言われてみれば、そうなんだろうけど。しかし、見た目が男の「佐藤かよ」を、イイネと言っているわけじゃないし。

佐藤かよなんて、どう見ても、女にしか見えないでしょ? だから、女としての「佐藤かよ」がカワイイと言っているわけだし、問題ないんじゃないかな?

オレの理屈、合ってるよね?

 

まあ、私の好みなどは、どうでもいいんだが。

日本では、相変わらず人気のおネエタレントだけれど、アメリカでは、事情が全く違う。アメリカでは、日本のように、おネエタレントがテレビに出演するなんて、ありえないのだ。

というのも、アメリカではゲイに対する偏見というか、嫌悪感を抱く人たちがたくさんいて、おネエタレントがテレビに出演しようものなら、そういう超保守層から山のように抗議の声が寄せられるんだとか。

だから、まず、アメリカでは、日本のようにおネエタレントがテレビに出演するなんてことは、絶対にありえない。アメリカでは、いまだにおネエタレントが、市民権を得ていないのだ。

この点は、アメリカよりも、むしろ日本の方が、おネエたちが広く一般社会に受け入れられていると思うんだが。

考えてみれば、アメリカは不思議な国だと思う。世界一自由で、何をしても許される国のようだが、人工妊娠中絶が政治問題化するなど、アメリカの精神文化は、どこか根柢の部分でキリスト教の教義に強く拘束されているところがある。

日本では人工妊娠中絶が政治問題化することなど、まずありえない。同様に、日本では、性的少数者に対しても、わりと寛容なところがあるのではないか、とも思うのだ。

 

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ただし、アメリカと日本で大きく違うのは、性的少数者たちの権利擁護。アメリカでは、性的少数者でも結婚できるし、片方が死ねば、財産の相続も可能だ。まあ、アメリカは州の権限が強いから、州によりけりだと思うが。

一方、日本では、現在のところ、同性婚は認められていない。この辺りからしても、日米の間で、性的少数者の権利擁護に関しては、彼我の差があると言える。

私などは、性的少数者の権利はもっと認められてもいい、と思うがなあ。彼らは、その恋愛の対象が、たまたま同性であったというだけで、その他は我々と何ら変わることはない。

むしろ、男女間の恋愛によくある打算や見栄などがないだけ、同性愛者の恋愛は純粋だとも言われている。

このように、性的少数者というのは、恋愛の対象が、たまたま同性であったというだけで、我々と何ら変わることがない人たちなのに、社会的に、権利的に、彼らは不当に扱われている。これは、オカシイ。

だから、性的少数者の権利を擁護しようじゃないか、みなさん。

 

と、ここで、終わったら、キバスタではない。なんか、ありきたりの、善人ぶった、偽善者の終わり方になってしまう。キバスタは、そんな普通のブログを目指してはいない。

まあ、たしかに、同性愛者の権利擁護は重要だ。しかし、それは、所詮、他人事であるから、そんなきれいごとが言えるという面も、確かに存在する。

もし、私の子供が同性愛者であると分かったら、親として、私はどうすべきなんだろう?と考えてしまう。

頭では同性愛者の権利の確立は必要だと分かっても、いざ、自分の子供が同性愛者であるとなると、果たして、その現実を自分は受け止めることができるだろうか?とも思ってしまうのだ。

みなさんは、どう思いますか?

同性愛者の権利擁護は必要ですか? そして、自分の子供が同性愛者であったら、その現実を受け止めることができますか? それとこれとは別の問題なんだろうか? いや、それとも、同じ問題なんだろうか?

人間は、他人事であれば、きれいごとが言える。所詮、他人事だからね。でも、実際に、自分が現実を突きつけられたとき、出来事の主人公になったとき、どのように考え、どのように行動するか?

それによって、その人の信念、信条、意志の強固さが測られる。性的少数者の権利の確立が本当に必要だと思うのであれば、それは、いついかなる時にも、たとえ自分の子供が性的少数者であることが分かっても、揺らぐことがない意志の強さも必要とされるのではないか、と思うのだ。

改めて、聞きましょう。

みなさんは、性的少数者の権利確立が必要だと思いますか? 自分の子供が、性的少数者であると分かっても、その現実を受け止めて、今までと変わらず、あなたは自分の子供を愛せるだろうか?

孫の顔は見られないかもしれないよ? まあ、養子縁組の孫という手段がないわけでもないが?