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教育無償化がもたらす未来の地獄絵図

教育の無償化議論が進んでいる。

幼稚園から大学まで、すべて無料になるという、ちょっと聞けば夢のような話なのだが。

まあ、勉強が嫌いな人からすれば、これほど恐ろしいことはないだろうが、無償化というのは義務化ということではない。

だから、これまでのように、中卒や高卒で働きたい人は働けばいいのだ。

 

安倍首相は、憲法を改正する折に、教育の無償化を盛り込みたいと決意を燃やしている。日本維新の会が憲法改正による教育の無償化を主張しているため、憲法改正をもくろんでいる安倍首相としては、日本維新の会の協力はぜひとも必要だからだ。

かくして、自民党をはじめとするあらゆる党が、程度の差こそあれ、教育の無償化を主張しているのだが。

教育を無償化して、日本は大丈夫なのか?

と、私などは思うのだ。

 

教育無償化のための財源

 

まず、第一に、教育を無償化するとして、財源はどこにあるのか?

という問題がある。

日本国が抱えている借金については、いろいろと議論がある。それほど心配はいらない、という人から、いやいや、このままでいけば、日本が破産してしまうなどという人まで。

財務省が公表している資料によると、日本の債務残高は対GDP比で232%。なんと、ギリシャの200%よりも多いのだ。

何度も国が破産すると噂され、世界の金融市場を動揺させたギリシャよりも、対GDP比で債務が多い日本って、一体、なんなん?

 

その日本が、さらに教育を無償化するわけだから、当然、財源なんてあるわけがない。

だから、現在、自民党内では教育国債を発行して、教育の無償化の財源に充てるんだとか。

では、教育の無償化に、一体、いくらかかるかと言えば、その総額なんと、

4兆円。

これが、文部科学省が試算した教育の無償化に必要な金額らしい。

こんな数字、多いのか、少ないのか、もはや一般人には分からん。

ただ、これだけの金額を教育国債の発行で調達するとして、それを一体、誰が返済するかというと、最終的には、国民となる。

そして、日本の債務残高はどんどん積みあがっていき、国民負担はますます増加する。教育の無償化で、幼稚園から大学まで教育費が無料になった、と喜んでいてはいけない。

将来的に税金の増加という形で、必ず、自分たちに負担が押し付けられるのだよ。

国の借金を返済するのは、他でもない、国民自身なのだ。

 

無償化による教育の質の低下

 

もう一つの懸念は、幼稚園から大学まで教育を無償化したとして、果たして、それに意味があるのだろうか?

という点だ。

大学まで無償なのだから、とりあえず、大学に行っておこう、という者が増えはしないだろうか?

日本の大学は、入学するときは勉強しないといけないが、卒業するためにはそれほど勉強する必要はない、と久しく言われてきた。

ところが、最近は、AO入試などという学科試験が全く課されることのない入試により、新入生の学力が大幅に低下している大学もある。

入学するときも、卒業するときも勉強しなくてもいい大学が増え続ける。そして、そんな大学にも無料で入れるとしたら、我々は、このような大学の卒業生に対して、何を期待すればいいのだろうか?

 

勉強しない学生にまで、税金を使って無料で大学に行かせる必要があるのか?

無償にするのだから、学生に勉強してほしいわけでしょ? 

勉強したいのに、お金がないから大学に行けない人たちに、大学に行ってもらいたいわけでしょ?

それならば、現状でも、手段がないわけではない。

奨学金制度を拡充すればいいのだ。きちんと勉強して、所定の成績を修めた生徒に対して、奨学金を給付すればいいのであって、勉強もしない、成績もパッとしない学生の授業料を無償にする必要はない。

周囲の仲の良い友達がみんな大学に進学するから、自分も大学に進学する。どうせ、無償だし。

などという、ふざけたヤツを排除するためには、教育の無償化ではなく、奨学金の拡充で対処すべきなのだ。

 

失敗した文部科学行政の尻ぬぐい

 

そして、これこそが最大の問題だと、私は思うのだが。

教育の無償化ということで、誰が一番得をするかというと、それは、無償化によって大学まで学費負担なく進学できる国民ではなく、少子化によって学生の確保に頭を悩ませている大学と、これまで無計画に大学の設立を認めてきた文部科学省である。

人口減少と少子化という未来は、早くから予測されてきた。それにもかかわらず、文部科学省は、首都圏などの大都市圏を始めとして、大学の設立を認可し続けてきたのである。

それゆえ、現在、どの大学でも、学生を確保するために非常に苦労している。前述のAO入試などというのも、学科試験を排除して、できるだけ学生が大学に入学しやすくする方向で考えられた、一種の苦し紛れ策の一種とも考えられる。

つまりは、このように、入学試験を簡単にしなければ、学生が集まらなくなったということでもある。

 

それならば、そんな必要もない大学は潰せばいいのだけれど、文部科学省は、天下り先を確保するために、大学を潰そうとしない。

必要のないものは淘汰すべきなのに、天下り先確保と、行政の失敗の責任を追及されることを避けたい文部科学省が目論んだのが、教育の無償化であると、私はにらんでいる。

教育の無償化とは、つまり、学生集めに苦労している大学への補助金であり、文部科学行政の失敗の責任追及を回避するための方便なのだ。

 

教育を無償化されている皇室の面々

 

教育の無償化が議論されている日本だが、すでに教育が無償化されている連中がいる。

それは、皇室だ。

ヤツらは、幼稚園から大学、さらには、大学院まで無償。つまり、国民の税金で教育を受けることができる。

だから、当然、日本のお母さんたちを悩ませている待機児童問題は、皇室にはない。

最高の、しかも環境的には抜群の幼稚園に、優先的に入学を認められ、しかも入学金も授業料も無料。

悠仁が入園したお茶の水女子大学附属幼稚園は、入学金や授業料がいくらするか知らないが、おそらく、一般人はなかなか入学できないような幼稚園なのだろう。

そのような幼稚園に、特別待遇で入園できるのだから、待機児童問題で困っている日本のお母さんたちは、やり切れない思いでいるのではなかろうか?

もとはといえば、そんな悠仁の授業料や入学金は、そんな待機児童に頭を悩ましているお母さんたちが払っている税金から支出されているのだ。

なんとまあ、バカバカしい話ではないか。

 

そんな皇室の連中だが、一応、希望すれば大学院まで行くことができるし、海外の大学や大学院にまで留学もできる。

そして、卒業後は、公務という仕事に従事するわけだが。こんなもの、我々一般人から見たら、およそ仕事とは呼べない。

行事に出席して、宮内庁の官僚が用意した作文を読むだけ。そんな仕事をするために、大学や大学院に進学する必要があるのか? しかも国民の税金を使ってまで。

ヤツらの公務に、大学や大学院という教育機関は必要ない。ヤツらの公務には、それほど高度な教育レベルが求められないのだ。

 

大学を卒業したあと何をするんだ?

 

まあ、皇室に職業選択の自由はないから、皇室の例を持ち出しても、我々一般人の参考にはならないかもしれないが。

しかし、私は、皇室の連中が従事する公務に大学や大学院レベルの教育が不必要であるのと同様、教育無償化によって、国民の教育の質を表面的に上げたとしても、その高学歴が不必要になってくるのではないだろうか?

という疑問が湧いてくるのだ。

 

現在は、労働市場がひっ迫しているため、大卒の就職率もいいが、企業としては、本来、日本の学生を雇いたくないのではないだろうか?

どの企業でも例外はないが、そのコストの大部分は人件費である。人件費を削減することこそが、利益率を上げることにつながる。

だとすれば、人件費の高い日本人なんかを雇うよりも、工場を新興国に移して、現地人を雇えばいいことなのだ。

だから、今の産業界は、本音を言えば、大卒の日本人が欲しいのではなく、海外の安い労働力が欲しいだけなのだ。そして、日本では、できれば正社員ではなく、非正規雇用の社員を雇いたいのだ。

 

だから、最悪の場合、教育の無償化を実施して、大卒者の数を増やしても、職にあぶれたり、職にありついたとしても低い給料に甘んじなければいけなくなる人が増える可能性がある。

日本の産業界が求めているのは、学生の高学歴化ではない。産業界が求めているのは、安い労働力なのだ。もちろん、高学歴の安い労働力ならば、大歓迎だ。

それゆえ、教育の無償化を進め、教育国債を発行して国の借金を増やしても、高学歴の卒業生の多くが失業したり、安い賃金で働かなくてはいけないのであれば、将来、どうやって、国の借金を返済するんだろう?

教育の無償化により、我々に待ち受けている未来は、地獄でしかない。我々の未来予想図は、地獄絵図でしかないのだ。

それでも、教育の無償化を進めますか?