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宮崎駿監督が引退発言を撤回:オワコン巨匠のたどる末路

 

スタジオジブリの宮崎駿監督が引退発言を撤回して、再び長編映画を製作するもようだ。

宮崎監督が長編映画製作から引退を表明したのは2013年のこと。同年公開された「風立ちぬ」の公開後のことだ。

あれから、4年の歳月を経たのちの引退発言撤回だが。

私などは、

「え? 今さら復帰するの? 宮崎駿って、もうすでにオワコンだよね」

などと思っている。

オワコン? 要するに、「終わったコンテンツ」のことだ。

そう。宮崎駿は、私の中では、すでに終わっている。すでに過去の人だ。

 

「千と千尋」は商業的には成功したんだが

 

「もののけ姫」までは良かったんだが。その後の「千と千尋の神隠し」がいけない。

「千と千尋」は、1度見ただけでは良く分からなかったため、2度見たが、やっぱり分からない。

この映画は、いったい、何を言いたいんだ?

だから、3度目は、見るのを止めた。時間の無駄だ。そう思ったときに、私の中では、宮崎駿は過去のものとなった。オワコン化した。

「千と千尋」はアカデミー賞を受賞したということで、興行的には大成功した。その興行収入は308億円。

しかし、その大成功も、アカデミー賞受賞効果による底上げがあったんだと思う。

 

著しい興行収入の低下傾向

 

実際、その後の宮崎駿が監督した映画作品の興行成績は、ものの見事に右肩下がりに下がっている。

「ハウルの動く城」興行収入196億円。

「崖の上のポニョ」興行収入155億円。

「風立ちぬ」興行収入120億円強。

おそらく、「千と千尋」のアカデミー賞受賞によるメディアのすさまじいまでのプロモーションに乗せられた人たちが、実際に、映画をみて失望した結果だと思う。

「千と千尋」は、つまらなかった。だから、今度の映画もつまらないだろう。

あるいは、

「千と千尋」はつまらなかったが、今度の「ハウルの動く城」は面白いだろうと、映画館にわざわざ足を運んだ人たちが再度期待を裏切られることで、それ以降の「崖の上のポニョ」と「風立ちぬ」の興行成績も下がっていったのだろう。

 

ただ、それでも「千と千尋」以降の3作品は、いずれも100億円をはるかに超える興行収入を上げているのだから、興行的には大成功なのだが。

しかし、傾向的に見れば、宮崎駿が製作する映画の興行収入は低落傾向にあり、今現在製作が進められているという新作は、100億円すれすれ、ひょっとしたら100億円を超えないのではないか、と私などはにらんでいる。

もちろん、興行収入100億円というのが重要な指標ではないし、そもそも興行収入でその映画の良し悪しをはかることが、ナンセンスでもある。

 

 

人気宮崎アニメの興行収入

 

実際、宮崎駿監督の名作映画として、誰もがその名を挙げる映画は、「もののけ姫」を除き、いずれも興行収入100億円を超えていない。

「ルパン三世カリオストロの城」興行収入10億円弱。

「風の谷のナウシカ」興行収入14億円強。

「天空の城ラピュタ」興行収入11億円強。

「となりのトトロ」興行収入11億円強。

「魔女の宅急便」興行収入36億円強。

「紅の豚」興行収入47億円強。

「もののけ姫」興行収入193億円。

「ラピュタ」と「トトロ」が、意外にも興行収入的に落ち込んでいるとはいえ、「ルパン三世カリオストロの城」以降の興行収入は上昇傾向が続いており、特に「魔女の宅急便」以降、加速度的な伸びを示している。

「もののけ姫」こそ興行収入は100億円を超えているが、宮崎アニメの傑作と言われている「ルパン三世カリオストロの城」、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」は、100億円に遠く及ばないことも興味深い。

 

ルパンのイメージを覆したカリオストロ

 

私などは、やはり、「ルパン三世カリオストロの城」が強く印象に残っている。

ルパン三世はもともとテレビシリーズのアニメで、子供向けというよりも、どちらかというと大人向けの印象があった。

しょーじき、テレビシリーズのルパン三世は、当時小学校低学年の私には、全然面白くなかった。

テレビシリーズのルパンは、泥棒としては最高の泥棒なのだが、マヌケでお調子者で、しかも、峰不二子にセクハラをしまくるエッチなダークヒーローのようで、子供の私には、まったくもってそのキャラクターの良さが理解できなかった。

ところが、「カリオストロの城」のルパンは、それまでのルパンのイメージを覆すキャラクター設定となっている。

 

円卓の騎士と、その去り際

 

君主を殺害した邪悪なカリオストロ伯爵に乗っ取られそうになったカリオストロ公国。窮地に陥った王女クラリスを救うため、ルパン、次元、五エ門の三人が奮闘する物語。

これはまさしく、王女を守る円卓の騎士、ナイト(Knight)の物語である。自らの生命を危険にさらしながらも、ひたすら王女を守ろうとするヒーローの物語である。

そして、ルパンたち円卓の騎士は、見事王女を守り、カリオストロ公国の危機を救い、そして旅立っていく。

そう。ヒーローの最後は、死ぬか、旅立つ。この2つしかない。ヒーローに安住の地はないのだ。

 

 

そして、「カリオストロの城」の最大の見せ場は、やはりラストシーンであろう。

「ルパンは大変な大泥棒だ、クラリス姫の心を盗んでしまった」という銭形の一言。

この映画のファンは、このラストシーンに、この銭形の一言にしびれるのだ。そして、この銭形の一言が聞きたいがために、なんども再放送されて、次の場面展開もすべて記憶しているにもかかわらず、毎回見てしまう。

心を盗まれてしまったのは、クラリス姫だけではない。この映画の視聴者も、ルパンに心を盗まれてしまったのだ。

当然ながら、「カリオストロ」の見どころは、ラストシーンのみではなく、冒頭のカーチェイスの場面であったり、ルパンがクラリスを助けるために城に忍び込む場面であったり、見どころが、これでもかというくらい豊富にある。

「カリオストロ」は、アニメ映画の傑作であるとともに、ひょっとしたら、日本映画の中でも5本の指に入るほどの傑作だと言っても過言ではないような気がする。

 

この「カリオストロの城」こそが宮崎駿の初監督作品であり、これ以降、「ナウシカ」や「ラピュタ」、「トトロ」、「もののけ姫」など宮崎アニメの名作を次々に生み出すわけだ。

これらの名作について、私が今さらくどくど述べる必要はないだろう。

テレビでも毎年放送される常連と言えば、これらの人気作品である。

 

駄作「千と千尋」

 

ところが、問題は「千と千尋」である。

これは、いったい、何が言いたいんだろう?

「ナウシカ」以降の宮崎アニメに見られた自然と人間のかかわり、愛といったテーマがあるようでいてない、ないようでいてある。

要するに、「千と千尋」は何がテーマなのか、良く分からないんだ。1度見ただけでは分からないから、2度見たが、それでもさっぱり分からない。時間の無駄だから3度目はもう見なかった。

 

だいたい、「千と千尋」は、物語とはなんの関係もなさそうな登場人物が多すぎる。これが、まず、この映画を訳の分からないものにしてしまっている要因でもある。

登場人物が多くても、その作品に流れているテーマがしっかりしていれば、視聴者の方も頭の中が整理しやすいんだが。

しかし、「千と千尋」の場合、明確なテーマがないせいか、多種多様な登場人物が視聴者の頭の中でバラバラになってしまい、うまく整理できない。

いったい、この映画は何を言おうとしているのか? 途中で訳が分からなくなってしまうのだ。

 

伏線を張り忘れた?

 

私が最も違和感を覚えたのは、最後の方で白い龍が登場する場面だ。なんでも、主人公が昔住んでいた近所の川の化身であるという。

千尋が昔住んでいた近所の川だと? この物語に、そんな伏線があったっけ? 意味が分からんぞ。

こういう重要な人物の正体が判明するときには、必ず、その前に伏線が敷かれていなければいけない。

映画の前半で、いくつかのフラグをさりげなく置いておく。目立ってはいけないが、視聴者の頭に、頭の片隅に記憶が残るくらいかすかにフラグを置いておく。

そして、物語の最後の方に、「実は」という形で種明かしがされる。この時、視聴者の頭の中に置いていたフラグが回収されて、「ああ、なるほど、そういうことだったんだね」となる。

そういう伏線を事前に張らずに、いきなり、まさに唐突に、登場人物の正体が分かったところで、視聴者はついていけない。視聴者は置いてけぼりにされてしまうのである。

 

人気と興行収入

 

この、視聴者が置いてけぼりにされてしまった感が、「千と千尋」がイマイチな作品になってしまった所以であると思うのだ。

「千と千尋」に懲りて、それ以降の宮崎駿監督作品を私は見ていない。見ていないから評価はできないのだが、「千と千尋」以降、宮崎駿監督作品は、見事に興行収入を減らし続けている。

それでも、100億円を超えているのだからすごい。これは、商業的には大成功であると言ってよい。しかし、この興行収入の減少傾向が意味しているものは、かなり深刻なものがあると見てよい。

それは、つまり、宮崎アニメの人気が低下しているということだろうと思う。

テレビで何度も再放送されている「カリオストロの城」、「ナウシカ」、「ラピュタ」、「トトロ」、「もののけ姫」は、今でもなお絶大な人気を誇っているが、「千と千尋」以降の映画はそれほど再放送されていないことを見ても、これらの作品群の人気の違いというのは歴然としている。

 

 

黒澤明とのデジャブ

 

世界的に名声を得た映画監督が、晩年は、訳の分からない映画を作って、その評価を落とすことはある。

たとえば、黒澤明がそれだ。宮崎駿は、アニメ界の黒澤と言われることもあるが、私は、最近、この二人がよく似た軌跡をたどっているように感じるのだ。

黒澤明は、世界の黒澤とも呼ばれ、日本人の映画監督では世界的に最も有名な監督だが。

その黒澤が監督した映画のピークは、「七人の侍」、「用心棒」、「椿三十郎」から「影武者」にかけてであろう。

それ以降の黒澤映画は精彩を欠く。特に、晩年に撮影された「八月の狂詩曲」、「まあだだよ」などは、何が言いたいのかさっぱり分からない。

黒澤の持ち味は、やはり何といっても娯楽作品だ。しかし、たんなる娯楽作品ではない。

娯楽に、黒澤独自の死生観、皮肉、社会批判を盛り込み、単純な娯楽作品ではない深みのあるエンターテイメントに仕上がっている。それが黒澤映画の真骨頂だと思う。

 

しかし、晩年の黒澤映画は、何が言いたいかさっぱり分からない。テーマがぼやけてしまっているし、そのため登場する人物がバラバラでまとまりがない。

つまり、何が言いたいのかさっぱり分からない駄作に仕上がってしまっているのだ。

だから、晩年の黒澤明は、今時の言葉でいえば、オワコンということになる。

 

裸の王様

 

黒澤明といい、宮崎駿といい、なぜ、このような世界的な名声を博した巨匠が、途中から訳の分からない映画を製作し、オワコン化してしまうのか?

一つには、やはり、彼らが裸の王様になってしまっているということなのだろうと思う。

商業的にも成功し、さらに、世界的な評価をも得てしまうと、周囲の人間からは神様のように持ち上げられてしまうに違いない。

そうなると、巨匠に面と向かって、意見できる人はいなくなるし、巨匠自身、有無を言わせないようなオーラを身にまとい始めるのだろう。

そして、巨匠たちは裸の王様となる。

「王様、裸ですよ!!」と勇気をもって言ってくれる人間が周囲からいなくなるのだ。

 

 

宮崎駿の死と、その作品の永遠性

 

厳しいことを言うようだが、引退発言を撤回して、目下、新作映画の準備を進めている宮崎駿に、私は期待していない。

巨匠と呼ばれる監督が、ひとたび、訳の分からない映画を作るようになったら、もう誰にも止めることはできないし、止めようがない。

宮崎駿は死んだ。

私の中ではね。

でも、彼が残した「カリオストロの城」、「ナウシカ」、「ラピュタ」、「トトロ」、「もののけ姫」は、私の中では、今でも生きている。

そして、これらの宮崎アニメの傑作は、人々の心の中でいつまでも生き続けることであろう。