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バニラ・エア事件に見る圧力団体としての障害者たち:彼らは本当に弱者なのか?

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障害者は、本当に弱者なのか?

本日のテーマは、これでいきたいと思う。

 

本論に入る前に、皆さんに質問があります。

 

この世で、一番強い者、最強の人は誰でしょうか?

ヘビー級のボクサー? プロレスラー?

いやいや、アメリカ大統領でしょ? あるいは、ロシア大統領? 

むしろ、北朝鮮の将軍様とか?

色々な人が、皆さんの頭の中をよぎったかもしれない。

 

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答えは、「赤ん坊」です。

そう。赤ちゃん。

意外ですか?

いや、そうでもないでしょう。考えてもみたまえ。

赤ん坊ほど、この世で最強な存在はないのではなかろうか。

お腹がすいたと泣き喚けば、すぐにミルクを与えられるし。ウンコやオシッコをすれば、即座にオムツを取り換えてもらえるし。暑い、あるいは、寒い時でも、泣きさえすれば、すぐに快適な環境を整えてもらえる。

常に、誰かに見守られ、気遣われ、何か反応すれば、即座に注目を浴びる。

そして、何をやっても怒られない。

テーブルの上の醤油さしを倒しても、水の入ったガラスのコップを倒しても、まったくお咎めなし。

 

こんな最強な存在、世の中にいるだろうか?

 

しかし、赤ん坊は、一方では世の中で最も弱い存在でもある。

生まれたての赤ん坊なんて、世話をする人がいなければ、半日とは生きていられない。

まさに最弱の存在。それが赤ん坊である。

 

このように、赤ん坊は、最強の存在であるとともに、最弱の存在である。

最強でありながら最弱。最弱でありながら最強。

そういう意味では、赤ん坊はパラドキシカルな存在である。矛盾した存在である。

 

同じことが、障害者たちにも言えないだろうか?

障害者は、本当に弱者なのか?

 

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この問題を考えるきっかけになったのは、日曜日に見ていたワイドナショーである。

その中で、格安航空会社バニラ・エアが、6月、奄美空港で障害者の男性の航空機への搭乗を拒否し、それに反発した車椅子の男性が、腕の力だけで自力で階段を上ったことが報道され、バニラ・エアが批判されたニュースが取り上げられていた。

番組中、犬塚弁護士は、「そもそも、格安航空会社は、人件費などのコストを削れるだけ削って、ギリギリの利益で運営している。そんな会社に、障害者への過度な配慮を要求できるのかという議論もある」といった意味のことを指摘している。

 

たしかに、その通りだと思った。

格安航空会社は、大手航空会社では一般的な通常のサービスでさえ廃止して、徹底的にコストを削減して、ギリギリの線で運行しているわけだ。

だから、取材の中で、バニラ・エア側は「障害者の搭乗はお断りしている」と話している。

バニラ・エアには、障害者対応するための人員の余裕、設備の配備がないのだろうと思う。

 

そもそも、奄美空港には、バニラ・エアだけしか飛行機が飛んでいないのか?

そんなことはあるまい。

日本航空も、全日空も飛行機を飛ばしているはずだ。

それに、JALも、ANAも、障害者対応は万全にしているはずだ。

一方、バニラ・エア側は、「障害者の搭乗はお断りしている」というスタンスだ。

そりゃ、格安航空会社だもの。

人件費はおろか、そのほかのサービスもできるだけ削って、ギリギリの線で会社を運営しているわけでしょう?

それなのに、よりによって、なぜ、車椅子の男性は格安航空会社バニラ・エアに乗る必要があったのか?

JALやANAに乗ればいいじゃない。

 

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しかも、車椅子の男性のとった行動が、これ見よがしである点にも注目してほしい。

この男性は、登場を拒否されるや、車椅子から降りて、腕の力だけで階段を自力でよじ登り、搭乗したという。

わざわざ、そんなことをしなくてもいいのに。あまりにも、これ見よがしの行動ではないか?

もはや、この男性は、飛行機に乗りたいのではなく、世間の同情を引いて、会社を糾弾するために、わざとこんな行動をしたとしか思えないのだが。

 

自力で、腕の力で階段を上っているオレ、かわいそうだろ?

オレのこの姿を見て、みなさん、どう思う?

やっぱり、バニラ・エアはおかしいよね?

障害者に対して、こんな態度に出るバニラ・エアを、みなさんも一緒に非難しないか?

 

なんだか、車椅子の男性が、こう言っているようにしか、私には見えないのだ。

実際、ネットには、バニラ・エアを非難する声もあるが、車椅子の男性の行為を非難する声もある。

つまり、男性は、バニラ・エア以外の航空会社を使えばよかったのでは?

とか、

男性は、これ見よがしな行動を取らず、裁判などを通じて、会社側の非を世間に知らしめるべきだ。

とか。

 

結局、この車椅子の男性の取った行動、自力で腕の力だけで階段を上がった行動は、マスメディアを通じて世間に広く知られるとともに、バニラ・エアに対して非難が殺到し、結局バニラ・エア側も、車椅子の障害者でも搭乗できるよう設備の改善に乗り出した。

なんだか、このニュースを読んで、障害者って、本当に弱者なんだろうか?

と思ったのは、私だけではあるまい。

 

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わざと、むちゃな行動を取って、世間の注目を自分に引き付け、そして、世論を会社への非難へと導いていく。

これでは、まるで、どこかの圧力団体とやっていることが同じではないか?

特定の企業を狙い撃ちにした企業テロではないのか?

障害者は弱者であるという世間一般の共通認識のもと、逆に、弱者であることに居直り、最強の圧力団体となってはいないだろうか?

 

障害者は、本当に弱者なのだろうか?

みなさんは、どう考えるだろう?

 

昨年から施行された障害者差別解消法には、

障害がある人から、社会の中にあるバリアを取り除くために何らかの対応を必要としているとの意思が伝えられたときに、負担が重すぎない範囲で対応すること。

と書かれている。

 

格安航空会社が、それこそ、人員を極限まで削減し、無駄な設備を徹底的に廃止して、それで低コストを実現して、安い運賃を提供しているのに、障害者しか使わない設備や、障害者の搭乗時にしか必要ない余剰人員を抱えておくことは、そもそも、格安航空会社にとって、負担が重過ぎると思うのだ。

今回の件で、バニラ・エアが障害者対応について改善することで、それがそのままコストアップにつながり、結局、運賃の値上げということになるかもしれない。

日本国民の年間所得がなかなか伸びない中で、売り上げを伸ばしている格安航空会社であるが、障害者対応を迫られることでコストアップにつながり、最終的に運賃の値上げに結び付くとすれば、格安航空利用者の中でも、今回の事件に関して車椅子の男性に対して非難する人は出てくるだろう。

 

私のようなアラフィフ世代の人間が振り返ってみると、障害者を取り巻く環境は、劇的に変化してきた。

私が子供のころなどは、「障害者は家の中にいろ、外に出てくるな」などという考え方が支配的であり、公共交通機関でさえ、障害者対応をしていない時代だった。

しかし、それでは、あまりにも障害者がかわいそうだ、ということで、障害者たちが共存できるような社会づくりが進められてきた。

そして、経済的にもバブル時代に向かいつつある中で、自治体の財源も今ほどひっ迫していなかったため、障害者対策に予算が割かれることになった。

 

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ところが、バブル崩壊後、失われた何十年とも言われる時代にあって、国民所得は伸びないどころか、低所得者層と呼ばれる人たちの存在がクローズアップされるようになってきた。

今や、年収300万円以下の人の割合は、国民の4割に上っているということだ。

この4割の中には、もちろん障害者もいるだろうが、健常者でありながら、年収300万円の壁を越えられない人も多い。

低年収ゆえに結婚もできない、などという厳しい現実も突きつけられている人たちもいる。

 

そんななかで、障害者対策として、企業のコストアップにつながる法律や、自治体の負担増につながる条例の制定などが、果たして、国民全体の理解を得られるのだろうか?

国民所得も伸びない、税収も伸びない中で、自治体も企業も財政的に厳しい状況に置かれている。

障害者が今後もますます社会で活躍するための財源拡充が主張される一方、貧困に直面している健常者の問題もある。

今回のバニラ・エア事件で車椅子の男性がとった行動は、どう考えても示威行動でしかないし、弱者という立場を利用して特定の企業に狙いを定めて、その企業を糾弾しようという企業テロにしか私には思えない。

種子島にバニラ・エアしか航空会社が存在しないならまだしも、JALもANAも運行している状況で、なぜに、バニラ・エアが狙われたか?

この意味をぜひ考えてほしい。

 

同時に、みなさんに考えてほしいことは「言葉狩り」である。

例えば「キチガイ」などという言葉は差別を含んでいるため、使わないようにしましょう、という圧力である。

これなども、一部の障害者団体と、それに乗っかった一部マスコミにより大々的に行われているものであり、すでに、わが国のマスコミでは、「キチガイ」など差別用語というレッテルを貼られた言葉は、事実上使えないようになっている。

これなども、私は、行き過ぎた問題だと思うのだ。

差別などは心の問題なのだから、言葉自体を使用禁止にしたところで、差別がなくなるわけではない。言葉狩りなどは、無意味で愚かな行為だと思うのだ。

 

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このように、現在の日本では、障害者の差別に関しては過剰に敏感になっており、差別主義者のレッテルを貼られることを極度に恐れるがために、企業でも自治体でも、個人でさえも言いたいことが言えない世の中となってしまった。

このブログ「キバスタ」は、言いたいことを言う、をモットーとしているため、今回は、あえてバニラ・エアの事件を取り上げ、障害者批判を繰り広げ、タブーを犯した。

これまで、「キバスタ」では、世間でタブー視されている天皇批判も大々的に行ってきたが、弱者としての立場を利用してやりたい放題やる障害者への批判も、今回のテーマとしてみた。

良い社会とは、みんなが言いたいことを言える社会である。そのためには、あらゆることにタブーがあってはいけない。

みんなが言いたいことを言い、いろいろな意見があるのが健全な社会だと思うのだ。

今回のバニラ・エア事件をきっかけに、再び、皆さんに考えていただきたい。

障害者対応のコストを、だれが、どの程度負担するのがいいのか? 

所得や税収が伸びない中で、果たして、これ以上、健常者がそのコストを負担できるのか?

色々な議論があるだろう。

その活発な議論を提起するのが、当ブログ「キバスタ」の役目だと思っている。