5月22日に行われた宮川泰介選手の記者会見は、見事なものであった。
半世紀生きてきた私でも、過去にこのような見事な記者会見を見たことがない。
なぜ、見事な会見かというと?
それは、この会見を開いたことにより、宮川選手のイメージが全く変わってしまったからだ。
つまり、宮川選手が、この会見を境に、犯罪とも呼べるような悪質タックルをした史上最悪の極悪人から、悲劇の主人公になってしまったのだ。
まさに、大げさでも何でもなく、一瞬にして、人物のイメージが真逆とは言えないまでも、ほとんど180度転換した例を、私はこれまで見たことがない。
加害者から被害者へ。
もちろん、宮川選手が加害者であることは、今さら言うまでもない歴然たる事実である。
しかし、同時に、宮川選手は被害者でもある。
監督やコーチが作り出した状況の犠牲者である。被害者である。
それが明白になった記者会見だったのではないだろうか。
今から思い返しても、5月22日の宮川選手の記者会見は異例づくめだった。
いや、異様な記者会見であると言っても差し支えないだろう。
オリンピックや世界大会で活躍した選手などが記者会見をした例はある。
これは、いい記者会見であり、名誉の記者会見である。
しかし、史上最悪の反則をした極悪人が生中継で記者会見をしたという例は、未だかつてなかった。
今まで、スポーツ史上多くの不祥事はあった。
例えば、野球や相撲の八百長問題や、いまだに多くの人の記憶にあるボクシングの亀田親子による反則の指示などがあるが。
しかし、亀田親子の反則指示は結果的に未遂に終わり、幸いにもチャンピオンがケガをすることはなかった。
そういう意味では、日大の宮川選手が行った悪質タックルは、ケガをさせるどころか、まかり間違えば、関学アメフト部のQBの命をも奪いかねない犯罪行為である。
その犯罪行為を行った者が、なぜ、このような不名誉な記者会見を行うのか? 記者会見が開かれるまで、私には理解できなかった。
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まあ、私などは暇だから、記者会見を最初から見ていたのだが。
まず、テレビカメラが宮川選手の顔を映し、さらに、実名を報道したことに度肝を抜かれた。
もちろん、すでに宮川選手の個人情報はネットで流出していたから、今さら顔をモザイクで隠したり、名前を仮名にしたりしても、あまり意味はない。
しかし、ヒーローインタビューなどの名誉の場ではないんだから、顔出しと実名でのテレビの、しかも生中継での登場は勇気がいることだろう。
彼は悪質な反則を犯した人間である。そんな人間が、なぜ、あえて顔を晒し、実名でテレビの生中継に登場するのか?
しかし、これが宮川選手の覚悟の表れだった。
会見が始まる前、弁護士によると、顔出しというのは被害者とその家族に対する謝罪の意思の表れであるということだった。
顔出ししなくて、なにが謝罪だ。
という宮川選手の強い覚悟であることを聞いて、私は、正直、その時点で感動すら覚えたものだ。
そして、その後、宮川選手が詳細な日付を出して時系列で、あの悪質タックルに至るまでに起こった出来事、監督やコーチとの非常に具体的で生々しいやり取りを語るに及び、私は思わず涙が出てしまった。
とてもじゃないが、見ていられなかった。聞いていられなかった。
そこまで、宮川選手は追い込まれていたのか。
彼に対する同情を禁じえなかったし、同時に、そこまで追い込んだ監督やコーチに対する激しい怒りも覚えた。
会見が終わるころには、私はすっかり、彼の人柄に魅了されてしまった。
誤解を恐れずに言えば、私は、すっかり宮川選手のファンになってしまったと言っても過言ではない。
顔と実名を晒して、生放送のテレビ中継に挑んだ潔さ。
そして、監督やコーチに対する非難がましい言葉を一切言うことがなかった男らしさ。
とてもじゃないが、これが、あの悪質タックルを行った者と同じ人物であることが、私にはどうしても信じられなかった。
悪質タックルを行った後、宮川選手は、我々が想像を絶する毎日を送っていたに違いない。
取り返しのつかない反則をしてしまったのだから、それは、ある意味当然の社会的な制裁でもある。
ネットに個人情報が流され、誹謗中傷される。悪質タックルをしてしまった以上、これは予測できたことだ。
だから、当時、宮川選手は人生のどん底にいたと言える。
しかも、そのどん底はまだまだ底が見えない。この先さらに落ちていくことだろう。
いわば、宮川選手にとって、人生最大の危機である。
あの会見で宮川選手のファンになってしまった私だが。
ファンとしての感情を抑えながら、できるだけ客観的な言葉を使うとすれば、宮川選手は、あの会見で人生最大の危機を見事に乗り切ってしまった。
いや、むしろ、最大のピンチをチャンスに変えてしまったのだ。
実際、テレビのコメンテーターなどの多くが、宮川選手のアメフトへの将来的な復帰を望むコメントをしている。
もっとも、宮川選手は会見でアメフトはもうやらないと明言はしているが。
しかし、どちらにせよ、あの会見は、見事な危機管理であるとしか言いようがない。
何度も言うが、半世紀生きてきた私でも、このような記者会見は見たことがないのだ。
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一夜にして、極悪人が被害者に代わり、それまで憎しみの言葉を投げつけてきた者ですら、いたわりの言葉をかけざるを得ない心境にもっていくとは。
もちろん、何度も言うが、どんな言い訳をしようと、宮川選手がやってしまったことは、許されることではない。
それは、宮川選手本人が会見でも何ども口にしていることである。
しかし、会見で明らかなように、宮川選手は純朴で真面目そうな普通の青年である。そんな普通の青年でも、追い込まれれば、あのような卑劣な行為を平気で犯してしまうということに、私は、背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
ひょっとすれば、我々も、同じような状況に追い込まれれば、犯罪を犯してしまうのかもしれない。
そう考えれば、あのような反則を犯した宮川選手に同情せざるを得ないのではあるまいか。
何度も言うが、宮川選手が行った悪質タックルは、卑劣な行為である。
しかし、同じような状況に追い込まれれば、いったいどれだけの人が胸を張って、「自分はそれでも悪質な行為は絶対にしない」と言えるだろうか?
サラリーマンなど組織にいる人間は、宮川選手が悪質タックルをせざるを得ない状況に追い込まれたのを、まるで、わが身のごとく、どうしても同情の気持ちで見てしまうのではないだろうか?
私などは、あの会見でいっぺんに宮川選手の人柄に魅了され、彼の追いやられた状況に同情してしまったから、どうしても判官びいきで客観的なことが書けなくなっているのかもしれないが。
しかし、やはり、あの会見は、古今に例を見ない見事な会見であったと思うし、宮川選手の人生の危機を救ったどころか、彼の立場をおよそ180度変えてしまった会見であったと思うのだ。
起こったことは仕方がない。
過去の事実は変えられないのだから、あとは、いかに己の誠意をもって、自分の犯してしまった行為に向き合うかの問題である。
そして、それこそが、ひょっとしたら人間の真価を決めるのではなかろうか。
誰でもが、過ちを犯す。
問題は、過ちを犯した後の行動なり、対応なり、生き方であろう。
そこにこそ、その人の真の姿が現れるのではあるまいか。
そういう意味では、宮川選手の記者会見に、多くの企業や組織、特に、日大関係者は、危機管理という観点において学ぶべき点が多いのではないだろうか?
最後に宮川選手の記者会見の良かった点をまとめておこう。
将来的に、危機管理という点で、なにか参考になるかもしれないから。
- 顔出し、実名報道を許可した潔さ。
- 監督やコーチに対する批判、恨みなど、個人的な負の感情を一切言わなかった男らしさ。
- 監督やコーチとの会話や、自分を取り巻く状況を客観的に、具体的に時系列で詳細に語ったこと。
- 記者会見で、ほとんどどんな質問にも誠実に答えていたこと。
- つまり、自分に都合の悪い質問でも、逃げないで真摯に答える勇気。